青森地方裁判所 平成6年(行ウ)12号 判決
原告
松沢栄吉(X)
右訴訟代理人弁護士
小野允雄
被告
(深浦町長) 平沢敬義(Y)
右訴訟代理人弁護士
三上雅通
事実及び理由
第四 争点に対する判断
一 財産区とは、「市町村及び特別区の一部で財産を有し若しくは公の施設を設けているもの」又は「市町村及び特別区の廃置分合若しくは境界変更の場合におけるこの法律若しくはこれに基く政令の定める財産処分に関する協議に基き市町村及び特別区の一部が財産を有し若しくは公の施設を設けるものとなるものをいう(地方自治法二九四条一項)。
財産区の制度は、明治二二年四月一日に施行された市制(明治二一年四月一七日法律第一号)、町村制(同)(以下「市制・町村制」という。)において初めて認められたものである。当時、我が国においては小規模な町村が多数存在しており、これを近代的地方自治体としてふさわしい規模に拡大するために町村の大合併を行う必要があったが、町村の中には既に特別な財産を所有しているところがあり、このような利益を保護し合併の円滑化を図るため、市町村の一部で財産又は公の施設を有するものを新市町村に帰属させず、その区域を「財産を有する市町村の一部」とすることとした。市制・町村制施行に際して成立した「財産を有する市町村の一部」には、市制・町村制施行以前からの慣行により一部の部落民が特定財産の共同使用収益権を有していた事実に基づき、市制・町村制施行に際してこれを「市町村の一部」としたもの、市制・町村制施行に先がけて行われた町村の大合併により、旧町村の有した財産を「市町村の一部」としたものの二種類が存在し、これらは「旧財産区」と呼ばれることもある。
これに対して、市制・町村制施行後において、市町村の廃置分合または境界変更がなされた場合に、旧町村又は旧地域に有する財産を「市町村の一部」として権利主体性を認めたものがある。
そして、これらは、地方自治法(昭和二二年四月一六日法律第六七号)の制定・施行により、前記のように「財産区」としてそのまま踏襲された。
(以上、〔証拠略〕)
二1 本件において、西津軽郡深浦町大字舮作字鍋石一四三番の土地(本件土地も当時この土地の一部であった。)は、明治時代の土地台帳の最初の所有主氏名欄に「深浦村大字舮作」と記載されており、ここから、当時、「大字舮作」はすでに法人格を有していたこと、右土地は土地台帳が作成された以前から「大字舮作」所有であったことになる(乙三、なお、土地台帳の制度は明治一七年に始まり、明治二二年の土地台帳規則により、登記簿との関連付けがなされ、土地台帳制度が確立された〔乙四〕。)。ところで、前記のとおり、旧財産区とは、明治二二年の市制・町村制施行に際して市町村の一部(町村内の部落または合併前の旧町村)が財産を有するに至ったものであるところ、大字は旧村または町村内の部落を表すものと考えられ、市制・町村制下において、当時大字に法人格が認められたのは「財産を有する市町村の一部」としてのみであるから、このような明治時代の土地台帳の最初の所有主氏名欄に「大字有」と記載されている財産は、特段の事情がない限り、これを(旧)財産区所有であると認めるのが相当である。なお、この点につき、原告は、「大字有」の財産は部落管理の町有財産であると主張するが、これは不動産登記実務とも矛盾し、そのように解釈する根拠は存在しないといわざるを得ない。
2 右のとおり、いわゆる「大字有」の財産である本件土地は、特段の事情のない限り財産区と認められるところ、本件全証拠を精査しても、本件において、このような特段の事情は認められない。
なお、原告は、深浦町が本件土地を「公有財産」として旧慣廃止をするなど公有財産として扱ってきたこと、本件土地には財産区の登記がなされている訳ではなく、予算、決算も議会の議決を経ていないことなどを根拠に、本件土地は財産区所有ではなく町有財産であると主張する。しかし、(旧)財産区であるかどうかは、前記のとおり市制・町村制施行に際して市町村の一部が財産を有していたかどうかによって決せられるのであって、その後における町の取り扱い方や予算・決算の議決の有無、登記などによって影響を受けるものではない。たとえ、運用上財産区としての取扱いを受けていなかったとしても、そのことから直ちに法律上財産区としての性質が失われるはずはないからである。
また、本件財産区が消滅したことを窺わせる資料も証拠上全く認めることができない。
三 以上のとおり、本件土地は財産区所有と認められるのであって、これを深浦町が財産区から購入した点は違法とはいえず、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 森炎 柴山智)